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川越古墳めぐり

時々自転車で近くにある古墳巡りをしています。

色々巡ると、この地域の長い歴史を感じます。

川越は江戸時代に川越城を中心に栄えていましたが

それよりもっと昔も古墳がある地域は

大きな集落があり、多くの人々が暮らしていたようです。

 

的場にあるこの牛塚古墳は的場古墳群の一つで

現存する川越市内最大となる前方後円墳です。

全長47m、高さ4mの大きさでで

2回の発掘で多くの貴重な埋葬品が発見されています。

(発掘された金銅製指輪)

 

保存状態もよく住宅地と畑の間にあり

自由に見る事ができました。

当時、前方後円墳造成には

大和政権の許可が必要で

その地域の有力な首長の墓の証拠です。

その副葬品から6世紀末頃に

朝鮮半島からの渡来系の人物が

埋葬されている可能性が高いようです。

 

 

すぐ近くにある浅間神社古墳は

住宅地の一角にありました。

古墳の多くは

近くにまとまって作らている場合が多く、

この地にも多くの古墳があったと思いますが、

その多くは開発と共に消滅しました。

こちらは唯一残ったその中の一つの古墳のようです。

現在は浅間神社として祀られています。

 

 

川越で有名な喜多院の境内にも古墳があります。

本堂に向かって左側の丘が慈眼堂古墳です。

仙波古墳群の一つで慈眼堂が建っています。

 

 

喜多院のすぐ隣にある日枝神社も

古墳に建てられています・

 

 

ここ三変稲荷古墳も仙波古墳群の一つで

川越総合高校東側の住宅地にあります。

川越市で最古の古墳で、

県内でも最古の方墳となります。

4世紀後半に作られた貴重な古墳です

連なる鳥居が印象的でした。

 

 

 

この仙波町にある氷川神社は

平安時代にこのあたりを支配していた武士、

仙波氏が創建した歴史のある神社です。

この境内にも古墳がありました。

 

 

仙波氷川神社のすぐ近くの愛護神社古墳は

かなり高い丘になっています。

 

近くにある仙波浅間神社古墳も

小高い丘になっています。

浅間神社は富士山を信仰する神社で

この古墳のように小高い古墳を富士山に見立て

信仰される古墳も多くあります。

 

国道16号の脇にあるこれらの古墳は

小仙波古墳群とよばれ、

近くに広大な水田の

あるこのあたりもかつて

たくさんの古墳があったようです。

 

多くの古墳をめぐると古墳の多い場所が

川にほど近く稲作に適した場所で

少し高い場所に存在している事が分かります。

 

かつて稲作の盛んだった地域に

有力な首長がいてその有力者の威厳を後世に

伝えるため古墳がつくられたのかもしれません。

 

これらの川越の古墳のようにもとは古墳だった場所が

その後に神社や寺になっている場合が多く

当時その地で大切な信仰の場所でもあった古墳が

その後神社や寺として祀られて、

いまでも人々の信仰の場になっています。

 

このように考えると、

昔からその土地の風景が変わっても

古墳や古い神社、お寺は

土地開発から免れ

千年以上変わらない場所で

現在まで唯一見える形で残る

地域の貴重な遺跡かもしれません。

とても長い歴史を感じます。

 

家部