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鎌倉街道と畠山重忠 坂東武者の通った道。

鎌倉から埼玉県の所沢市を通り

児玉町まで鎌倉時代に

整備された鎌倉街道がありました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

にも出てくる武蔵の武士たちが

行き来した鎌倉街道ですが、

現在でもわずかにその痕跡を残している場所があります。

今回は鳩山町と嵐山町にその面影を訪ねました。

鳩山町役場の先、

大橋交差点近くに

このような鎌倉街道の案内図があります。

劣化していますが、

要所の見どころなどが書かれていました。

 

大橋交差点にある

お地蔵や馬頭観音、

庚申塔などは

江戸時代のものです。

昔の街道近くにはこのような

古い石碑をよく見かけます。

また鳩山には古代の窯跡も多く

歴史のある場所です。

 

この先は嵐山町に抜ける山道、

笛吹峠の入り口になります。

道脇に見つけた古い道しるべ。

 

笛吹峠駐車場となりにある峠の平古墳です。

山の上にある珍しい古墳で、

太刀が出土したそうです。

草木に覆われてまったく気が付きませんでした。

 

数年前から付近の古墳を訪ねていますが

その多くが昔の街道近くに

あることに気が付きました。

おそらく昔から古墳の近くに

集落があり、集落を結ぶ道が

元々あったのかもしれません。

また古墳が道しるべにもなったと思います。

室町時代にはここで

足利尊氏と新田氏の合戦があったそうです。

 

道脇の林には今でも

千年前の街道跡が

残っています。

このような堀割状の遺構は

現在ではほとんど消滅して

他に毛呂山町にわずかに

残る程度です。

 

笛吹峠を嵐山町の方に行くと

縁切り橋という小さな橋があります。

今から1200年以上前の

平安時代にこの地に

滞在していた

征夷大将軍の坂上田村麻呂は、

京都から会いに来た奥方を

戦のため縁を切ると言って

追い返したという伝説が残っています。

このあたりの地名(将軍沢)も

坂上田村麻呂と

関係があるようです。

 

都幾川の手前にある

大蔵館跡です。

もとは平安時代の武蔵で

最大の勢力、秩父氏の荘園で養子となった

源 義賢(よしかた)が住んでいました。

義賢は源 頼朝の父 義朝の弟です。

(頼朝の叔父になります。)

ここには河越館を築いた

河越能隆も住んでいましたが、

義賢と共に父親が源 義平に

ここ大蔵館を襲撃され

討たれました。

義賢の息子、源 義仲は

長野の木曽に逃れ木曽義仲となります。

河越氏はその後、川越市入間川のほとり

上戸に河越館を築きます。

河越館を築いた河越重頼の娘、

郷御前は後に源 義経の妻となります。

 

 

近くには源 義賢の墓がありました。

京都から来てここ

嵐山に住んでいた

頼朝の叔父の墓は、今でも地元の人々に

大切にされているようです。

木曽に逃れた義仲はその後、

頼朝と敵対することに

なりました。

鎌倉にいた息子の義高は逃れて

鎌倉街道を北上し、

父親の生まれた大蔵館を目指しましたが、

狭山の入間川近くで捉えられてしましました。

その時に身を隠したと伝わる影隠し地蔵が

今でも狭山市柏原に

残っています。

そちらも以前訪れました。

頼朝の娘と仲のよかった

まだ12才の義高の

死を悲しんだ

頼朝の妻 政子はここを訪れ、

入間川のほとりに

清水八幡神社を

建立しています。

NHK大河ドラマの紀行で

紹介されていました。

 

鎌倉街道沿いにあった

大蔵館の先には都幾川が流れています。

その風景は京都の嵐山に似ているということで

この地が武蔵嵐山と呼ばれるようになったそうです。

学校橋のキャンプ場には

多くの人たちがキャンプを楽しんでいました。

 

 

国道254号、嵐山バイパスの横には

菅谷館跡があります。

畠山忠重が住んでいた館跡です。

館跡の付近も鎌倉街道が通っていたようです。

街道付近には城址も多く

この先には杉山城址

などもあります。

入口には大河ドラマに合わせた

のぼりが立っていました。

後世に築かれた堀跡が多く

残され、続日本百名城にもなりました。

城址には畠山忠重の像があります。

武士の鏡と言われ、文武両道に優れ誠実な人柄と

容姿の良さも伝説になっている人物です。

頼朝の信頼も厚く鎌倉幕府の成立に貢献しました。

河越氏と同じ秩父氏の家系で埼玉を代表する武士です。

歴史家の間でも人気があるようです。

大河ドラマではイケメン俳優

中川大志さんが

好演しています。

 

畠山重忠も通った街道の交差点には

お地蔵と鎌倉街道の大きな石碑もありました。

 

 

途中、白黒のかわいい猫に

出会いました。

出かける際に常備している

チャオチュールをあげたら喜んでいました。

 

県内にはこのような武将たちが通った街道や

城址などがまだ多く残っているようです。

埼玉の史跡を訪れることで

地元への愛着もでてきました。

家部